ぱちりと目を覚ますと、そこは教室の中だった。
傾いた太陽の様子から考えて、たぶん放課後。
帰りの終礼を聞いた覚えはあるから、きっとその直後に寝落ちしたんだ。
居眠り我慢の新記録だなんて考えていると、聞きなれた明るい声が耳に入る。
「ハッピーバレンタイン!」
アミティだ。
両手にはいっぱいのチョコ。
右に左に走り回りながら、一人一人にそれを渡していく。
その様子に今日が何の日だったか思い出す。
きっとアミティはクラスの皆のことを大事に思ってるから、
みんなの分を作ってきてるんだ。
今持ってるのは何個だろうと思いつつぼうっと眺めていると、
ちょうどアミティと目が合う。
「あ、シグ!起きてたんだ!!」
まぶしい笑顔と共に手を振ると、ちょっと待ってね、とだけ言って残りの皆にチョコを渡し続けていく。
それからアミティの駆ける足が少し早まったように見えたのは気のせいだろうか。
寝ぼけて時間の流れに鈍くなってたからなんだろうけど、
七個、六個とその小包の数はどんどん減っていって、
ねぼけ頭がすっきり目覚める頃には、ちょうどその残りは一つ。
ひと段落ついたのか、アミティは汗を腕で拭って、
ふう、と胸に手を当てて一息ついていた。
「おつかれさま」
「このくらい平気平気っ」
そう笑って、目の前までとことこと駆け出す。
「シグにもあげるね。ハッピーバレンタイン!」
渡してくれたのは可愛い包みに入った小さなチョコ。
さっき皆に配ってた中の、最後の1つ。
いわゆる義理チョコというものなんだろうけど、
でもどっちにしたって、アミティからもらえるのは嬉しい。とっても嬉しい。
胸の奥が騒いでるのが何よりの証だった。
お礼を言わなくちゃ。
「ありがと」
と見上げると、気づくとアミティは真っ赤になって顔を背けていた。
恥ずかしげな表情。
今までに見た覚えのないその表情が、顔の赤さが夕陽のせいなんかじゃないんだってことを知らさせてる。
「……えっとね、シグ。」
おずおずとアミティは言葉を紡ぐ。
いつも元気なアミティからは想像つかない、か細い声だった。
その後アミティはごそごそと机の中から何かを引き出して、
両手でぎゅっと大事そうにそれを抱きかかえていた。
「その……これも。受け取ってほしいな」
差し出されたのは、青いハートの箱に、蝶の飾り。
世界に1つだけの特別な贈り物なんだって、見ただけで分かった。
「一生懸命作ったから……大事に、食べてね」
嬉しかった。特別大切な子に、特別な気持ちを貰えて。
けど見上げてお礼を言おうとした時には風のようにとたたと走り去ろうとしていて。
待ってというよりも先に、気づけば両手が伸びて、がばっとアミティを捕まえて引き寄せていた。
「ひゃあ……!?」
びっくりするアミティの声に我に返る。
しまったと思った。
心臓がすごい音を立ててる。自分も、アミティも。
きっと全部聞かれてる。アミティのそれが全部聞こえてるのと同じように。
でも、そんなことで恥ずかしがってる場合じゃない。
伝えなきゃ。アミティが込めてくれた気持ちに、応えなきゃ。
「ありがとう」
「……うん。どういた、しまして」
アミティの返事に、情けない形だけど伝えられたと一瞬は思った。
けど鼓動は止まらない。言えてないって否定してる。
まだ伝えられてないって、心が叫んでる。
でも頭が回らない。心臓がばくばくと叫ぶばかりで、思考が全然追いつけない。
焼けるような、眩暈がするような、ぎゅうと締め付けるような気持ち。
その言葉の名前は、頭より先に心の奥底が紡いでくれた。
「……だいすき」
「!!」
思考が文字になる前に、口から想いが飛び出す。
けれどそれと同時に、胸の緊張が暖かく解けて、一瞬ぴくりと腕の中でアミティが震えた気がした。
「…………お返事、一か月早いよ」
「あんまり嬉しかったから、止められなかった」
震えた声。腕の中で、アミティは振り返ってまた伝えてくれる。
「あたしも、大好き」
斜陽に照らされたアミティは真っ赤な笑顔がとっても愛らしくて、
けれど涙に輝く翠緑の瞳がとってもきれいで。
愛しさがどうしようも抑えられなくなって、また胸鳴りが暴れだす。
もしかしたら物欲しいって顔をしてしまっていたのかもしれない。
気持ちに気づいてくれたのか、アミティはそっと目を閉じる。
「……いいよ」
そう赦しながら。
抗うなんて選択肢は初めからなかった。
愛しさのあまりに、誘われるがままに。
「…………んっ……」
初めての誓いを、そっと唇に交わす。
柔らかな潤い。いけないことをしてるわけでもないのに、
禁忌にでも触れてしまったかのような心地良さと、小さな後ろめたさ。
頬に擦れる髪の毛の感触が、くすぐったくて気持ち良い。
そしてやさしくてまばゆいおひさまの香りと、
きっと昨日の頑張りの跡であろう、微かに残る甘いチョコの香り。
一瞬のような、永遠のような、不思議な感触が神経の全てを包み込んだ。
やがて唇が離れると、目の前の女の子は恋に落ちた乙女のような、
甘くて幸せな微笑みを浮かべていて。
「えへへ……夢、みたいだね……」
夢見心地にそう囁くと、ふらりと胸元に倒れこんで、
「…………すぅ……」
幸せそうな寝息。そのまま、気を失ってしまっていた。
抱きついた時からずっと心臓が鳴りっぱなしで、
おまけに大きな感情にずっと揺らされっぱなしだったんだもの。
疲れちゃうのだって、仕方ない。
けれど……
「困った」
ぽつりと贅沢な悩みが零れる。
寝ちゃったアミティをどうしよう。
腕の中、へにゃりと幸せそうな寝顔のアミティに目をやる。
"あたしも、大好き"
そう言ってくれたアミティの笑顔を反芻する。
クリームに砂糖を加えたような、チョコよりもとっても甘い恋心の女の子。
あんまり甘くて甘いから、チョコと一緒に持って帰りたい気持ちもある。
けれどそれは良くない。起きたらびっくりさせてしまうから。
でもこのままおいておきたくもない。
だって一人で目を覚ましちゃうと、夢だと思って寂しがっちゃうかもしれないから。
気持ちが通じ合えたのは夢じゃないんだって、教えてあげたいから。
「アミティ、冷えちゃうよ」
「……しぐ、あったかい、よ……むにゃ」
ちょっと揺すってみても、夢うつつ。
仕方がないから抱きかかえたままそのまま目覚め待ち。
その幸せそうな寝顔を横目に、込められた想いの封を開く。
中身は世界でただ一つの想いが込められた、ハートのチョコ。
チョコの感想も後で伝えなきゃと思いながら、一口頬張る。
ちょっぴり苦くてとっても甘い、いっぱいの気持ちがこもったその味は、
鼓動するハートと同じ恋の味。
胸の奥が、またどきどき幸せの音を鳴らす。
「ありがとう、アミティ」
夢の中まで届くようにとお礼を紡ぐと、
「……どういたしまして。シグ」
ちょうど目覚めた大好きな女の子が、嬉し恥ずかしな様子で微笑む。
まだ夢心地なとろんとした様子のまま、問いかける。
「あたしの想い、伝わったかなあ……?」
こくりと頷けば、顔は甘いいちご色。
そして大好きな満面の笑みが、ぱあっとまばゆく花咲いた。